2023年から2024年の初めにかけて西洋占星術を学んで,出生チャートと簡単な時期読みについてはだいぶできるようになりました。
そこから,ソーラーアーク,一年一度法について興味を持ち始めたんですが,これがなかなか面白いですね。
一度記事にしています。
このときは離婚について書きましたが,
それだけではなくて,ネイタルのアセンダントにソーラーアーク(SA)の太陽が乗ったときに転職して関西から関東へ移住していたりします。
これは自分の中のやる気スイッチが入った感じですし,実際に人生の切り替わりの時期だったと思います。
ソーラーアークは,自分のチャートを2枚重ねて,1枚のチャートを1年に約1度の割合でずらしていくようなものです。
ですので,ネイタルの天体同士が何度ズレているかで,生まれてから何年後にどういう心境になり,どういうことを選択するかが予測できるということになります。
私のチャートは,天体が星座の最初の方の度数に固まっていて天体同士の度数が近いです。
ということは,幼いころに,ネイタルの天体とソーラーアークの天体とが何らかのアスペクトを取るということになります。
たとえば,ネイタルチャートでは,水星が牡羊座3度の終わりかけにあり,冥王星が天秤座の0度の最初の方にあります。
この場合,ざっくり3歳ごろにN水星とSA冥王星がぴったり180度になります。
ちなみに,N土星が双子座3度の終わりかけ,N海王星が射手座4度の終わりかけにあり,3歳ごろにはかなり正確なミスティックレクタングルを形成しています。
また,N月が魚座24度の終わりかけにあるので,ざっくり5歳ごろにSA月とN冥王星がぴったり180度になります。
さらに,ネイタルの金星が双子座7度の後半,火星が双子座10度なので,SA土星と4歳,7歳のころにぴったり重なります。
子どもの頃の記憶は重苦しいものが多かったなーという気がしているのですが,ソーラーアークがらみで土星と冥王星がぴったりの角度になることが関係していそうです。
これまでの人生において,子ども時代の重苦しさについてずっと考えていたわけではありませんが,山羊座冥王星時代はかなり考えた時期だったなーと思います。
おとつい公開されたマドモアゼル愛さんの冥王星水瓶座入りの動画を見て,山羊座冥王星時代から水瓶座冥王星時代への変化について考えていました。
この動画は,太陽星座を1室として,山羊座と冥王星が何室に位置するかから,それぞれの太陽星座ごとに解説するものです(太陽天秤座まで)。
私の太陽は牡羊座なので,山羊座は10室,水瓶座は11室にあたります。
詳細は省きますが,10室の冥王星は人生における本当の意味での自立を強制的にもたらすという作用をしたのではないかという気がします。
9室の冥王星は,目上から守られて好きなことができますが,10室はそこから自分の目標に向かって自分を打ち立てていくという感じになります。
私の山羊座冥王星時代は,控えめに言ってとても大変でしたが,その中で,幼少期からの重苦しさや「トラウマ」に向き合わざるを得ないという状況に立ち至ったことが最も大変なことでした。
自分の幼少期に向き合う中で,確かに大変だったといえる状況はたくさんありました。
しかし,はっきりした何かがあるわけでもないのに重苦しい時期というのもあって,それがソーラーアークと対応していることに震えました。
これは,ソーラーアークによって「予言」できるということではなくて,幼少期の私が,重苦しい心理状態を選択しがちだったということだと思います。
たとえば,同じ状況でも太陽や金星,木星がソーラーアークがらみで角度を取っていたら,もっと楽観的な記憶になっていた(そして,おそらくは記憶の彼方に消えている)と思われます。
今回,私自身の幼少期のソーラーアークを見てみてよかったのは,自分の中のモヤっとした影に光を当て,意味を見出すことができたことです。
幼少期において,心の動きとして,重苦しいものが生まれがちだということが分かって「もういいか」と思えたのでした。
「もういいか」というのは,現実的には40~50年前の話であって,そこから私は成長して,経験を積んで,力をつけたのだから,幼少期の何も言えずに沈んでいく私とは切り分けよう,ということです。
自分の過去と現在を切り分けたから,過去がなくなるわけではありません。
重苦しい心の彩りがなくなり,ニュートラルに過去を見ることができるようになっていくということだと思います。
また,自分の重苦しい心の彩りに光を当て,意味を見出していくことは,自分本来の性質や美徳を見出すことにもつながると感じています。
冥王星が水瓶座入りした直後に,過去に決別できるというのも個人的には興味深いことだと感じます。
マドモアゼル愛さんの動画によると,11室の冥王星は,個人の関心事から他者と活動をして,それが人生の目標につながっていくということでした。
個人の自立→他者との共同は,フェイズは違えどエリクソンの発達段階と共通するものがあり,次の段階へ進んでいくのだと思います。